この夏は、なぜか赤に惹かれる。。。
↑ ちょっとあなた!私を誰だと思ってんの!? 私がわからないの!?
↑ まだ誰だかわからないって? レッドよ、レッドだってば!!
↑ この場を借りて挨拶しとこっと。謙虚な一面もあるのよ~。
↑ 一応こうなる予定なの。チョコレートコスモスじゃなくて、向日葵よ♪
黄色の向日葵も撮ってあるので、また見て下さいねー!
フラワー&アレンジメント
キリンの耳はカンガルーの足
夫の祖母のお見舞用にと、明るい感じのアレンジを作ってみました。
↑ 病室に持って行くお花は、色々と気を遣わねばなりません。
香りがキツかったり、色がド派手だったり、すぐ花が落ちるのもNG。
今回はお花屋さんに買いに行って、花器を選んで、アレンジ作って、撮影して…
の時間が1時間くらいしかなかったので、大きなお花&葉っぱで何とか凌ぎました。
お陰で、おばあちゃんも喜んでくれました。
↑ こちらはアレンジにも使った「カンガルーポー」という植物。
カンガルーの足という意味を聞いてなるほど…と思ったのに、病室でおばあちゃんに
話す時は「確かキリンの耳だったと…」と超いい加減な事を言ってしまった私。
夫もおばあちゃんも納得させた大嘘でしたが、今回ほど自分の物覚えの悪さに
呆れ返った事はありません。思い出す度、凹んでおります。。。
Simple is best !!
西に黄色
without カーネーション
母の日は毎年、義母にはフラワーアレンジを作ってあげています。
ブルー系が好きな人なので今年も…と思っていたけど、いつも同じようなアレンジに
なるし、お花自体も余りなかったので、今回はガラッと違うイメージにしてみました。
↑ 黄緑色の筋がある白いお花、何だかわかりますか?
↑ 大き目の写真を見てもわからない…ですよね?
実はこれ、ユリなんですって。
葉っぱを見たら「そう言えば…」って感じですが、言われてもまだピンと来ません。
今日はお友達と、假屋崎省吾さんのトークショーに行って来ました。
でも前半1時間は、子供達やおばさん達の合唱や歌ばかりでした。。。
假屋崎さんのデモンストレーションもありましたが、ほぼトークばかり。
しかも自分でプロデュースしてる物の紹介(売り込み)も結構激しく
商売上手だな~と思いました。
主催者の方に写真はNGって聞いてたのに、みんな結構携帯で撮ってました。
私も携帯で何とか撮りましたが、いまだデータをPCに移す事が出来ず
ミニSDカードと格闘中。データ容量を大きくしたせいかなぁ~。
一眼持って行けば良かった…と大後悔しております。。。
軌跡
No Reason
世の中には 理由をバシッと答えられることとそうでないことがある。
「なんで毎日 御飯を作ったり、掃除したりするの?」
「それが仕事だから」 好き嫌いは関係ない。
夫が聞いてきた。
「なんで 写真を撮るの? 何のために?」
私は即答出来ず、そして逆に質問した。
「じゃぁ、そっちはなんで打ちっぱなしに行くの?」
夫 「上手くなりたいから」
私 「上手くなって ゴルフ場でプレーして、良いスコアを出せたらそれでいいの?
プロでもないのに? それで稼げるわけでもないのに?」
何をするにしても、「上達したい」と人は思う。
そして、その先がどうあれ やる価値を見い出した時初めてスタートラインに
立てるのでは と思う。
以前 フラワーアレンジメントのサークルに入っていた時、それを知った人全員に
「YOKOさんは本当にお花が好きなのね」と言われた。もちろん、深い意味はない。
それを否定する理由もなかったけど、「お花好き」を公言出来る程のレベルでは
なかったと、今振り返って思う。
でも、暫くお花に触れる機会も作らず、カメラにハマり、こうして写真を撮るように
なってからの方が お花を好きになっている。
前よりも。 確実に。
カメラは 私を外へ連れ出してくれる唯一のアイテムになった。
そして、私のもうひとつの眼になった。
まだまだ上手くは表現出来ないけれど、夫の質問の答えを探すべく撮り続けて
いけたら と思う。
いつかバシッと答えられるようになるに越したことはないけれど
答えが見つからなくても構わない。
どんな事に対しても、「思う」という気持ちは 止められない。
「考える」こととは違う。
気付くことも大事。
忘れることも大事。
我慢することも大事。
… だけど、私にとって一番大事なのは 『 自分を信じること 』
これは生涯変わらない。 思い、考え、進みたい。
↑ 先月撮ったラナンキュラス達… 箱から飛び出してきたみたい ♪
Girl’s Festival
立春のアレンジメント
あれから15年
阪神淡路大震災から、今日でちょうど15年になります。
私は神戸の女子大を出て、神戸の会社に就職しました。
西宮市にも住んでいました。
大好きな地が壊滅していくのは、本当に辛かった。。。
ただ、私は1月いっぱいまでいるはずだった兵庫県のマンションを
母の強い勧めで前年のクリスマスに出て、大阪の実家に帰っていました。
お陰で難を逃れたのです。
でも、大阪でも神戸よりの方だったので揺れは強烈で、まるで
遊園地のバイキングを20倍速にしたような感じのものでした。
あんな恐ろしい揺れは、もう二度とごめんです。
だいぶ日が経った頃、早朝遠い親戚が電話をしてきました。
西宮で女の子が亡くなったという報道を見て、私ではないかと。
それまで全然電話がつながらなかったそうで、号泣されました。
当時は携帯を持っている人も極一部で、私も自分の友達の生存を
確認するのに手一杯だったのです。
どんなに月日が流れても、あの日の事、あの後の事は忘れない。
亡くなられた方々に、深い追悼の意を捧げます。。。