爪研ぎの日

昨年に引き続き、猫のいない猫の日を過ごしています…
 
 
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↑ 二年前の今日、まるおが爪研ぎをした。
 
 
それは3ヶ月振りの出来事だった。
深い悲しみの中にも 嬉しい事があるんだって思った。
今はまだ切なさでいっぱいの思い出だけど
いつかきっと喜びに変わると信じている。。。
 
 
 
 

そして一年

「ありがとう」も「 ごめんなさい」も 何度だって言えるのに
 
 
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↑ まるお、あなたに「さよなら」を言えないまま、一年が過ぎたよ。
 
 
最後は 目が見えなくなって、動けなくなって、声も出せなくなって
撫でてあげることしか出来なかった…。
 
 
それは 私の人生の中で
一番 認めたくなかった事実
一番 迎えたくなかった瞬間
手放さなければならないものと
手放さなくてもいいものとの
区別が全然付かなかった。。。
 
 
泣き続けたこの一年は、振り返るのもおぞましいくらいで
どんどん時が流れてしまえばいい…そう思い続けてきた。
そして、ずっと今日を この日が来るのを待ってた。
季節が一周したくらいで何とかなるようなものではないけれど
こうして一年一年を積み重ねていく事の大切さはわかるから。
 
 
当たり前のように 笑って、食べて、眠って…
あのコは私の活力の源だったんだ…
そして、私は本当にまるおに依存していたんだなぁ…と思った。
子供のような、恋人のような、弟のような、親友のような、
師匠のような… そんな存在だったから、あの小さな体に
色んなものを背負わせていたのです。
ずっとずっと 守ってもらっていたのは、私の方でした。。。
 
 
意外だったのは、夫です。
私はてっきり 彼は2ヶ月もすれば立ち直り、私に「いつまで
泣いているんだ!」くらい言うと思ってた。
生前、私が撮ったまるおの写真を見せても さほど興味を
示さなかったし、私が往診を頼もうとした時も「そこまで
しなくても…」って感じだったし。
 
 
最後の介護期間中、疲れ切った私よりもずっと一生懸命まるおの
世話をしてくれたから、今でもその時の気持ちが続いているようで…
毎日まるおの写真を見ては「かわいいなぁ… 会いたいなぁ…」
と呟いている。そして「この(心の)穴はもう埋まらないのかな?」
と自問自答を繰り返している。
 
 
彼にとっても、まるおはいつの間にか 大きな大きな存在に
なっていました。まるおがそれだけの猫だったという事です。
これからは もう「去年の今頃は…まだまるおがいてくれたのに…」
と思わなくても済む。
 
 
「まるおは私の心の中にいる」
そう思って、日々丁寧に生きていく。。。
 
 
 
 

miss you…

今日は猫の日。主役不在のように見える我が家だけれど…
 
 
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↑ あなたが私の宝物であることには ずっと変わりない。
 
 
部屋に光が入って 眩しい床を見ると
あなたを思い出す
温もった体を 反転させたり
丸めたりして こちらを見てたね
今も この日だまりの中にいるよね、きっと…
 
 
 
 

初盆

ちょうどお盆の頃…今月の13日が まるおの四十九日でした。
 
 
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↑ 一年前の今頃。当時は少し痩せたと感じていたのに、まだこんなに大きかったんだ…
 
 
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↑ まるおが珈琲の香りが好きだったので、このローソクを買いました。
 
 
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↑ お花もなるべく欠かさず、お供えしています。
 
 
もう何もしてあげられる事がないというのは、余りにも寂しいので
勝手にあれやこれやと供えては、心を紛らわせています。
「まるおは食べないだろ〜」という物まで置いて、「お友達にあげてね」
などと言い、写真を見つめ、お骨を抱き、色々話し掛ける毎日…。
そしてなんとこの私が、般若心経まで唱えるようになりました。
 
 
結局、13日は先日亡くなった夫の祖母の初盆の合同法要があり、お寺へ。
その日は30組以上が集まるとあって、本堂は物凄い人でした。
(うちだけでも 十数人で行ってるくらいですから…)
そして、住職と副住職の2人のお経だけでも十分響き渡っているのに
年配の方々が皆一様にお経を読み始め、迫力満点で圧倒されました。
そうして「お経のシャワー」を浴びたわけですが、お陰で結構
スッキリしたような気がします。祖母(義母の母)の宗派は私の実家と
同じだったので、馴染みもあったせいかもしれません。
 
 
「その日はずっと まるおのそばにいたいのに…」と思っていたけど
返って良かったかもしれない。その「返って良かったかも」と思える
ような事はいつも神仏に関係していて、とても恩恵を感じます。
ありがとう、まるお。
ありがとう。
 
 
 
 

寂夏

今まで生きて来た中で 一番寂しい夏が始まっていました。
 
 
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↑ まるおを失ってから 今日でひと月になります。
 
 
もう遠い昔の出来事のように感じていて
「やっとひと月」「まだひと月」というのが実感です。
 
 
いつもそばにいてくれた大切な誰かを失うというのは
心ごと 大きく撃ち抜かれたような衝撃で
自分の全てを持っていかれる…
そんな感覚がする。
心が全く機能しない
それに一番戸惑い、参ってしまいました。
 
 
心が冷えているせいか
暑さすら感じなくなっていて、でもやはり体は正直で
持病の気管支炎を再発していました。
 
 
わかっているんです。
幾ら 名を呼んでも もうまるおは帰っては来ないって。
毎日 泣き暮らしても まるおは喜ばないって。
どんなに願っても 明日が来ない人もいるんだって。
辛く苦しいものを抱えているのは 自分だけじゃないって。
乗り越えるべきは 自分の中にあるって事も…
全部全部 頭の中ではわかっているのに。。。
 
 
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せっかく頂いたコメントにも 長い間返信出来ず大変失礼致しました。
最初の内は「悲しくはない、寂しいだけ」と思っていたけど
どうやら悲しみは形を変えて、何度もやって来るようです。
 
 
まるおが生きている頃は「ありがとう」をたくさん言えたけど
亡くなってから一週間くらい経つと、謝ってばかりでした。
「もう後悔しない」と決めた事まで…。
ひと通りの感情を吐き出さなければ、前には進めないのだな
と思いました。
 
 
今後もまるおの事は節目の度に書いていくつもりですが
もう少し落ち着いたら、別にきちんと場所を設けて
綴っていきたいと考えています。だから、今は…
こちらのブログを少しずつ元の状態に戻していく事で
心のリハビリが出来ればいいなと思っています。
 
 
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↑ 写真の下には、まるおへのメッセージを書きました。。。
 
 
 
 

想い出にかわるまで

あと どれくらい待てば 全て 想い出にかわるのかな…
 
 
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↑ この写真のまるお… 今の自分を見ているみたい。 多分、同じ顔してる。
 
 
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↑ 「蝉時雨」(セミシグレ)という名のトルコキキョウ。
 
 
命が尽きた約13時間後に火葬の運びとなり、この花を用意した。
両手に大きな花束を抱えたまるおは、口角がキュッと上がって
本当に可愛らしい顔をしていた。
撮りたくなるくらいの、最高の笑顔だった。
「ちょっと(天国へ)行ってくるね」
そんな感じだった。
 
 
 
 

最愛

この世に こんなに愛しいものがあったなんて…
 
 
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↑ 6月26日午前3時、まるおが永眠しました。(写真は昨秋のです)
 
 
19歳と3ヶ月の命でした。
最後は私達夫婦が見守る中、苦しむことなく「ありがとう」と言い残して
安らかに眠りにつきました。
その顔は 満足感からか、少し得意気にさえ見えました。
優しくニッコリと微笑みかけてくれているようでした。
 
 
色々思い悩んだ日々でしたが、「この顔・この表情が全て」だと思いました。
幸せに感じてくれていたんだと、確信しました。
そうして 私達が最も目指していた「最期」を実現したわけですが…
 
 
今は ひたすら淋しい
この耳には まるおの声が残り
この手は まだ温もりを覚えてる
だけど 姿形がない淋しさ…
今はこれに一番対応出来ないでいる
19年間の重みは やはり堪え難いものがあります。。。
 
 
 
 

戻れない道

余命一週間と告げられたあの日から、半年以上が経ちました。
 
 
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↑ 3月頃から調子が安定し、4月は絶好調で このような表情を見せてくれていました。
 
 
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↑ 5月28日、この時まるおの目に 私はどう映ったのだろう…。
 
 
この写真を撮った数時間後に、まるおは視力を失いました。
そして、一歩も脚を踏み出せなくなりました。。。
まだ若干「光」は感じている様子ですが、見えない不安からよく鳴くようになり
昼も夜も区別がつかないのか、余り眠らなくなりました。
 
 
見えなくなった3日後の朝、急に全身が痙攣をし出して、本人もどうして良いのか
わからず鳴いて、私はとうとうこの時が来たかと思いました。
そして、「大丈夫」「ありがとう」「わかってる」と必死で声を掛けつつ
一方では「こんな別れ方、嫌だ!」と思っているうち、暫くすると痙攣は治まり
まるおは放心状態でしたが、しっかり生きていました。
 
 
当たり前ですが、失明した事が相当なストレスだったようです。
直接的な原因はわかりませんが、老化や肝臓疾患から脳に来て
いわゆる「てんかん発作」の症状が出たのかもしれません。
元々腎臓も悪いし、甲状腺などの状態も疑い出したらキリがなく
かと言って、手術やキツい薬も無理なので、もう何もしてあげられない。
(取り敢えず、発作に関しては薬で対処出来ています)
 
 
時間と共に、まるおは 範囲は狭いながらも歩くようになりました。
その様子を見ていると「見えてるのでは?」と思うくらい
キョロキョロしたり、しっかり見ているような気がしたりします。
慎重だし ゆっくり歩くので、物に激突する事もありません。
 
 
食欲は全盛期から比べると半減しましたが、それでも昨年末に比べると
よく食べています。トイレも自分で頑張ってしています。
しかし、僅かながらも続けて来た点滴は やめました。
目が見えなくなってからというもの、すごく嫌がるようになったからです。
 
 
当初からの「まるおの意思を尊重しよう」という思いは全く変わりません。
だからこそ、いつまで経っても「少しでも見えるようになればいいのに…」
と思ってしまう。悔やんでも仕方がない…介護なんて、そんな事の繰り返し
なのでしょう。前を向いて、頑張るしかありません。。。
 
 
 
 

Lovin’ You

何をもって「元気です」と言えばいいのか、わからないまま…
 
 
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↑ まるおは今、こんな感じで 日々過ごしています。19歳と1ヶ月。
 
 
何年も前から固形のフードは食べられないので、缶詰やパウチなど色々試した結果
今のフード(ロイヤルカナン・腎臓サポート)に辿り着き、それ以来 命を繋いでいます。
それもこれも、色んな情報をネットから得たお陰なので、自分自身も今後は少しでも
何かしら情報発信して、いつか誰かの役に立てればいいな…
と思ってはいるものの、行動がまだ伴っていません。。。
 
 
勘違いされてる方が多いのですが、まるおは寝たきり状態ではなく、自分で御飯も
食べるし、おトイレにも行きます。便秘気味でしたが、ラキソベロンという液体の下剤を
朝3滴ほど餌に混ぜ、トイレ中にちょっとアシストする事によって解消されました。
 
 
先月 一年振りに血液検査をして、腎臓の数値だけを見ると以前よりマシになって
いました。毎日少しずつ皮下点滴をしているので、それのせいかと思われます。
瞳も若干濁っていたのが、クリアになってきたような気がするし、毛並みもキレイです。

皮下点滴は、主に夫がしています。本来なら、たくさんするべきなんでしょうが
どうもまるおには50〜80ccくらいが適量なようなので、毎晩5分程度で済みます。
こんな事なら「もっと前からしときゃ良かった」と夫は言いますが、元気な時は
すぐ逃げてしまって無理だと気付きました。
 
 
やはり何でも、その時々に応じて処置していくしかないようです。
腎臓の数値は多少なりとも改善されましたが、一方では貧血がひどく
歩いたり、座ってる時でさえふらつく事があるのが気がかりです。
 
 
お正月に行った3件目の動物病院で、食べない事を告げると「管を通す方法がある」
と説明し出したので、「それ(そんな考え)はないです」とキッパリ言いましたが
その後も長々と「実績」を話され、後日また同じ話を違う受付の人にされたので
完全に嫌気がさしました。
 
 
飼い主なら、例えどんな事をしても生きていて欲しいと思うものですが
限度があります。私と夫でも、その境界線はかなり違いますが、極力
まるおが嫌がる事はしたくありません。
 
 
皮下点滴も、痩せ細ったコには難しくなるばかりで、いつか出来なくなるそうです。
ここまで来たら、「長く生きればいい」というものではなく、「毎日少しでも幸せに
感じて生きてくれたらそれでいい」と思うようになりました。
 
 
往診に来て下さった2件目の獣医さんの見立て(余命一週間)は
今でも間違ってなかったと思っています。
私達も必死だったし、努力もしたけれど、何よりも生きようとする
「動物の本能」には 底知れないものがあります。
生きることしか考えない… それが今に繋がっているとしか思えません。。。
 
 
 
 

19歳

病床に就いて久しいですが、ついに誕生日を迎える事が出来ました。
 
 
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↑ まるおです。ボクが19歳なの? なんだかまだ 実感湧かないな…。
 
 
私の方こそ、信じられないよ…。
ありがとう。こんなに長く生きてくれるなんて、思ってもみなかった。
 
 
今まで何万回も抱っこしてきたまるおに「抱っこしてもいいかな?」
と恐る恐る聞かないといけないくらい 弱っていた11月。
いかに上手く看取るか、考え抜いて 覚悟した12月。
「生きる」と決断したまるおを 必死でサポートした1月。
希望を持つ度、打ちのめされた2月。
あと半分、今月はどうなるのか…。
 
 
まるおの誕生日は実はよくわからなくて、5月半ばに「生後2ヶ月」
と聞いたのが唯一の情報でした。(詳しく聞いとけば良かった!!)
あと、「まるおメモ」と称したもの(御飯やらトイレやらの詳細記録)を
書き始めて、今日でちょうど『100日目』に当たるので 誕生日にしました。
 
 
まるお、本当におめでとう。
以前より一層可愛くて、優しくて、賢くて少し強くなったあなたを誇りに思います。