この世に こんなに愛しいものがあったなんて…
↑ 6月26日午前3時、まるおが永眠しました。(写真は昨秋のです)
19歳と3ヶ月の命でした。
最後は私達夫婦が見守る中、苦しむことなく「ありがとう」と言い残して
安らかに眠りにつきました。
その顔は 満足感からか、少し得意気にさえ見えました。
優しくニッコリと微笑みかけてくれているようでした。
色々思い悩んだ日々でしたが、「この顔・この表情が全て」だと思いました。
幸せに感じてくれていたんだと、確信しました。
そうして 私達が最も目指していた「最期」を実現したわけですが…
今は ひたすら淋しい
この耳には まるおの声が残り
この手は まだ温もりを覚えてる
だけど 姿形がない淋しさ…
今はこれに一番対応出来ないでいる
19年間の重みは やはり堪え難いものがあります。。。
Month: 6月 2013
戻れない道
余命一週間と告げられたあの日から、半年以上が経ちました。
↑ 3月頃から調子が安定し、4月は絶好調で このような表情を見せてくれていました。
↑ 5月28日、この時まるおの目に 私はどう映ったのだろう…。
この写真を撮った数時間後に、まるおは視力を失いました。
そして、一歩も脚を踏み出せなくなりました。。。
まだ若干「光」は感じている様子ですが、見えない不安からよく鳴くようになり
昼も夜も区別がつかないのか、余り眠らなくなりました。
見えなくなった3日後の朝、急に全身が痙攣をし出して、本人もどうして良いのか
わからず鳴いて、私はとうとうこの時が来たかと思いました。
そして、「大丈夫」「ありがとう」「わかってる」と必死で声を掛けつつ
一方では「こんな別れ方、嫌だ!」と思っているうち、暫くすると痙攣は治まり
まるおは放心状態でしたが、しっかり生きていました。
当たり前ですが、失明した事が相当なストレスだったようです。
直接的な原因はわかりませんが、老化や肝臓疾患から脳に来て
いわゆる「てんかん発作」の症状が出たのかもしれません。
元々腎臓も悪いし、甲状腺などの状態も疑い出したらキリがなく
かと言って、手術やキツい薬も無理なので、もう何もしてあげられない。
(取り敢えず、発作に関しては薬で対処出来ています)
時間と共に、まるおは 範囲は狭いながらも歩くようになりました。
その様子を見ていると「見えてるのでは?」と思うくらい
キョロキョロしたり、しっかり見ているような気がしたりします。
慎重だし ゆっくり歩くので、物に激突する事もありません。
食欲は全盛期から比べると半減しましたが、それでも昨年末に比べると
よく食べています。トイレも自分で頑張ってしています。
しかし、僅かながらも続けて来た点滴は やめました。
目が見えなくなってからというもの、すごく嫌がるようになったからです。
当初からの「まるおの意思を尊重しよう」という思いは全く変わりません。
だからこそ、いつまで経っても「少しでも見えるようになればいいのに…」
と思ってしまう。悔やんでも仕方がない…介護なんて、そんな事の繰り返し
なのでしょう。前を向いて、頑張るしかありません。。。